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- 2023.12.21 Thursday
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いっぱい書きすぎて最後のまとめ書いてなかったです。追記しております。
こんばんは。今回からタイトルについて短期連載という形で数回に分けて書いていこうかと思います。
ちょっと前に減量騎手についてこんな記事を書きました。
簡単に言えば減量騎手が昔に比べてやや不遇であるという話、それについて理由としてこういうことが考えられると最後にこういう話を書いて締めました。
簡単に言えば昔は若い騎手を使おうという気概はあってそれがひところなくなってたが最近持ち直しつつ?あるのかなということだと思います。
競馬もこの16年でいろいろ変わっていて、外人地方騎手はもちろんですが、当時に比べてベテラン(40代後半〜50代)が多く淘汰されにくくなってるとかクラブ馬主の台頭やいろいろ背景もあります。
その辺はまた別の機会に触れようかと思います。ではでは。
これについて触れていこうかと思います。
昨今どのスポーツでも10代の若者と台頭が目立つようになってきています。卓球の張本選手等10代前半の選手もでてきています。スポーツの枠を外せば将棋の藤井四段とかもそうですね。
ただ競馬についてはこういう若者の台頭の気配すらありません。唯一は数年前の三浦騎手ですかね。
各競技盛り上がる起爆剤に若者のスーパースターの台頭がはっきりいって一番手っ取り早いです。競馬にはこれがないのが今一つブームがこない理由かなと思い、これから数回にわけて競馬はなぜ若者の台頭がないのかってことについて私の考えをデータも踏まえつつ書いていこうかと思います。
一般的よく言われるのが
・騎乗経験の少なさ(地方で修業を積めば)
・今の若者は〜的なこと
といったところが言われているような気がします。騎乗数については上の記事でも書いてますが幅が減っているわけではありません。今の若者〜的なことは個人的には今の若い騎手って一部を除いてしっかりしすぎてるくらいしっかりしていると思うんですよね。若いんだからもっとちゃらちゃらしてもと思うくらいです。では何が原因かってところに突っ込んでいこうかと思います。あくまで私的意見ですが。
まず騎手として成功というのはなんでしょうか。おそらくダービーのような大きいレースを勝ったり、素晴らしい馬とコンビを組めるようになったり、あとすごい賞金を稼いだりということでしょう。ただいきなりそこにたどり着くにはなかなか難しいので実績という形でまず勝ち星がわかりやすいアピールポイントになってきます。成功にはまず勝ち星ということになってきます。野球のように自分の技術一本でただ打てば数字が上がるわけでもなく、徐々に実績を積んで周りの信頼を集めないとどうしようもないところもあり、その勝ち星という実績を重ねるのにも時間がかかりますし、当然周りの助けが必要になります。
要するに周りから育てようという要素がないと本人だけではどうしようもないところがあるのも事実です。
私が競馬に興味を持ったのはナリタブライアンのころなので今からだいたい四半世紀前になります。そのころにダビスタをして競馬に興味をもったわけですが、その時のダビスタの騎手で上の方の騎手の人は今もベテランとして名前を連ねています。武豊、蛯名、横山典、田中勝春、柴田善、そして彼らより一つ下の年代の藤田でした。覚えている限り。要するにそのころにはもう一定の地位を気づいていたことになります。
当時の騎手リーディングを見る限り、あのころには若手を抜擢しようという気概はあったような気がします。実際どうだったのでしょうか。今から2つのデータを出します。
・年度別10代、20代の53勝以上挙げた騎手一覧
・年度別10代、20代の80勝以上挙げた騎手一覧
これを平成に入ってから平成28年まで28年分出してみようかと思います。
先に突っ込みどころについて先回りして説明をしておきますと「なぜ平成?」というのは正直私の競馬を見始めたナリタブライアンのころ、平成5,6年くらいにしようかと思いましたが、そこまでさかのぼるなら平成頭からでいいかという大雑把な理由。
なぜ53勝?80勝?については80勝については一応私の中で一流ジョッキーはこのラインかなというのが漠然とあってここで線を引かせてもらいました。53勝については1年52週とみて1週につき1勝以上勝ってるということで53勝にしました。
あと興味のある方は調べてみていただければと思いますが、過去何十年のリーディングを見てると、本当に絶妙に「52勝」というラインがいいボーダーになってます。
ということでデータ出して語っていきます。
早速53勝から
53勝以上挙げた10、20代騎手の年別分布図
53勝以上総人数 | 栗東 | 美浦 | |||||||
2017年 | 1 | (松山(27)) | 0 | ||||||
2016年 | 17 | 2 | 浜中(28)藤岡康(28) | 0 | |||||
2015年 | 21 | 4 | 浜中(27)松山(25)藤岡康(27)松若(20) | 1 | 三浦(26) | ||||
2014年 | 17 | 4 | 浜中(26)川田(29)菱田(22)松山(24) | 1 | 三浦(25) | ||||
2013年 | 16 | 3 | 川田(28)浜中(25)松山(23) | 2 | 田辺(29)三浦(24) | ||||
2012年 | 20 | 5 | 浜中(24)川田(27)松山(22)川須(21)北村友(26) | 3 | 三浦(23)吉田隼(29)松岡(28) | ||||
2011年 | 23 | 4 | 川田(26)川須(20)浜中(23)北村友(25) | 5 | 田辺(27)吉田隼(28)丸山(21)三浦(22)松岡(27) | ||||
2010年 | 25 | 4 | 川田(25)浜中(22)藤岡兄(24)北村友(24) | 2 | 松岡(26)丸山(20) | ||||
2009年 | 19 | 2 | 藤岡兄(23)川田(24) | 3 | 松岡(25)北村宏(29)三浦(20) | ||||
2008年 | 22 | 4 | 藤岡兄(22)川田(23)浜中(20)北村友(22) | 4 | 三浦(19)松岡(24)吉田隼(25)北村宏(28) | ||||
2007年 | 21 | 3 | 池添(28)川田(22)藤岡兄(21) | 3 | 吉田隼(24)松岡(23)北村宏(27) | ||||
2006年 | 22 | 5 | 秋山(27)和田(29)鮫島兄(21)川田(23) 武幸(28) | 2 | 北村宏(26)吉田隼(23) | ||||
2005年 | 16 | 3 | 福永(29)藤岡兄(19)池添(26) | 2 | 柴山(27)北村宏(25) | ||||
2004年 | 18 | 3 | 福永(28)池添(25)武幸(26) | 2 | 北村宏(24)吉田豊(29) | ||||
2003年 | 18 | 4 | 福永(27)幸(27)秋山(24)池添(24) | 2 | 後藤(29)北村宏(23) | ||||
2002年 | 18 | 2 | 福永(26)池添(23) | 3 | 後藤(28)吉田豊(27)勝浦(24) | ||||
2001年 | 18 | 5 | 四位(29)藤田(29)福永(25)秋山(23)池添(23) | 3 | 後藤(27)江田照(29)北村宏(21) | ||||
2000年 | 17 | 5 | 四位(28)福永(24)藤田(28)幸(24)武幸(22) | 4 | 後藤(26)田中勝(29)江田照(28)吉田豊(25) | ||||
1999年 | 17 | 4 | 藤田(27)四位(27)武幸(21)高橋亮(21) | 3 | 後藤(25)吉田豊(26)江田照(27) | ||||
1998年 | 15 | 4 | 武豊(29)四位(26)藤田(26)高橋亮(20) | 4 | 蛯名(29)田中勝(27)後藤(24)吉田豊(25) | ||||
1997年 | 17 | 6 | 武豊(28)藤田(25)四位(25)福永(21)佐藤哲(27)熊沢(29) | 4 | 横山典(29)吉田豊(24)田中勝(26)蛯名(28) | ||||
1996年 | 15 | 6 | 武豊(27)藤田(24)四位(24)佐藤哲(26)熊沢(28)福永(20) | 4 | 横山典(28)蛯名(27)田中勝(25)橋本広(24) | ||||
1995年 | 13 | 5 | 武豊(26)松永幹(28)佐藤哲(25)四位(23)藤田(23) | 4 | 横山典(27)柴田善(29)蛯名(26)田中勝(24) | ||||
1994年 | 15 | 5 | 武豊(25)松永幹(27)藤田(22)四位(22)角田(24) | 4 | 柴田善(28)横山典(26)蛯名(25)中館(29) | ||||
1993年 | 14 | 5 | 武豊(24)松永幹(26)藤田(21)岸(24)上村(20) | 3 | 柴田善(27)田中勝(22)横山典(25) | ||||
1992年 | 12 | 3 | 武豊(23)松永幹(25)岸(23) | 3 | 田中勝(21)横山典(24)蛯名(23) | ||||
1991年 | 13 | 4 | 武豊(22)松永幹(24)岸(22)角田(21) | 2 | 田中勝(20)横山典(23) | ||||
1990年 | 11 | 2 | 武豊(21)松永幹(23) | 2 | 横山典(22)柴田善(24) | ||||
1989年 | 10 | 2 | 武豊(20)松永幹(22) | 1 | 柴田善(23) |
という感じです。
※2017年で松山騎手を入れているのは現在52勝。よほどのことがない限りクリアするからです。
(53勝以上の総人数からみる競馬の移り変わり推移)
まず53勝以上の総人数について、昔は厩舎所属が多く残っていたことが理由だと思いますが今より勝ち星は分散しています。要するに昔のほうが53勝している騎手が少ないです。年代別にざっくり分けていくと
1989〜1995年 が10〜15人
1996〜2005年 が15〜20人
2006年〜 が大体20人以上になります。
(美浦・栗東の人数)
まず栗東>>美浦の年のほうが 美浦>>栗東の年より多いのはわかるかなと思います。
(年代ごとに説明)
・1989〜1990年(武豊台頭)
武豊騎手の華々しいデビュー。それと松永幹夫騎手の活躍が栗東であり、彼らの活躍を追うようにその先輩柴田善騎手、同期横山典騎手が数字を伸ばしているのはわかると思います。これが若手台頭の兆しです。
・1991〜1998年(武豊世代、武豊弟分世代時代の襲来)
彼らの活躍に引っ張られるように同年代、そしてその後輩世代が数字を伸ばしていくことになってます。この過渡期に53勝以上の騎手の絶対数が増えてますが彼らの躍進した人数がそのまま53勝以上の騎手の総数増につながってます。
12人中6人→14人中8人→15人中9人→13人中9人→15人中10人→17人中10人→15人中8人と1992年からこういう推移で成績を残していくことになってます。
間違いなくこのころの前半の競馬関係者には若手を育てようという意識はあったと思います。それに引っ張られた人もいるでしょう。そしてこのころ若手として抜擢してもらった面子が今現在も40代後半のベテラン騎手として多く現役で残ってます。
そして1998年。この年に武豊騎手は29歳。20代卒業となります。
・1999〜2001年(武豊若手卒業以後の若手たち)
武豊世代の後輩世代、四位・藤田と大型新人福永が西ではそのまま台頭。東では全く違う路線、海外帰りで大躍進の後藤騎手がその穴を埋めていくようになります。ただ後藤、福永以外はもうすぐ30代でこの若手抜擢の流れに陰りが見えてきます。
・2002〜2006年(福永、後藤の孤軍奮闘、そして若手不毛の時代)
このころにははっきり落ち込んできます。このころには18人そして多い時は22人もの53勝以上のジョッキが出てきますが、年間で10,20代の若手が絡むのは5名程度。西では福永、池添。東では後藤が卒業でそのあとを北村宏が継いでいきますが安定していたのは彼らだけ。年代的にも特に東はやばいなという傾向は出てきています。
・2007〜2012年(再度若手抜擢の流れが東西に)
この6年は明らかに東西ともにもう一度若手を育てようという意識が高まってきたころだと思います。毎年20名以上の53勝ジョッキーが出てくる中、西では20代前半から川田、藤岡兄、浜中、北村友、そして松山が2012年にはこの数字をクリアしていきます。
今のベテランが抜けた後は彼らに支えていってもらおうということだったんだと思います。外人騎手の通年免許取得がなければ。
東は東で後でも触れますが、後藤騎手が30代に入ったあとは本当に不作が続いてさすがにやばいというタイミングで松岡騎手の台頭と三浦騎手が鳴り物入りでデビュー。これにひっぱられるように吉田隼、丸山騎手の短期的な台頭もついてきました。そしてこのころには北村騎手はリーディング上位の安定株となって東西ともに若手育成には一定の成果が上がったことになります。
2013〜現在(外人騎手通年免許に戸崎騎手移籍で若手抜擢が減少傾向へ)
西に関してはこの年代を川田、藤岡兄は卒業しましたが、松山騎手が安定。彼が今年G1とったのはこうしてみると必然だったような気がします。そして藤岡康騎手も数字を伸ばしてきました。彼らに続けと菱田騎手、松若騎手の積極起用で彼らは数字を伸ばしましたが、続けて好成績を残すことができず、川田騎手から続いた栗東の若手育成の流れは少し途切れ気味になり、それに伴い総数も減ってきました。後触れなきゃいけないのは浜中騎手の再三の騎乗停止とケガによる成績低下。これも若手の53勝ジョッキーが減った要因であろうかと思います。
東は東でもっと深刻。若手育成の流れは完全に止まります。育っていた三浦騎手と実質西が抜擢した田辺騎手がかろうじて踏ん張りますが、前者は大けが。後者は30代になることで2016年には20代の若手がいなくなります。
余談ですがそれに伴って30代前半の石橋、津村騎手の積極起用による成績アップが2017年に起こっていると思います。
<総評>
ということで全体の流れになります。
武豊デビューに乗って大きな波。彼らの中堅からベテランへのタイミングで若手の抜擢が2007年くらいにあったのはわかると思います。
スーパースター(武豊、三浦騎手)が現れるタイミングでは周りも引っ張られて他の若手の躍進にもつながってきているのは何となくわかると思います。一人こういう人が現れると若手を使いやすくなるという流れはあると思います。
そして平成初期で武豊騎手と一緒に躍進した人たちがそのまま今現在もベテランで残っていることになります。四半世紀彼らがトップにいることになります。これもまた若手躍進の妨げにはなっているとは思いますがそれはまた後日の記事で。
そして80勝以上についても同じように出そうかと思います。
80勝以上挙げた10、20代騎手の年別分布図
80勝以上全体総数 | 栗東 | 美浦 | |||
2017年 | 0 | 0 | |||
2016年 | 7 | 0 | 0 | ||
2015年 | 10 | 1 | 浜中(27) | 0 | |
2014年 | 8 | 2 | 浜中(26)川田(29) | 0 | |
2013年 | 11 | 2 | 川田(28)浜中(25) | 1 | 田辺(29) |
2012年 | 9 | 2 | 浜中(24)川田(27) | 0 | |
2011年 | 10 | 3 | 川田(26)川須(20)浜中(23) | 2 | 田辺(27)吉田隼(28) |
2010年 | 11 | 1 | 川田(25) | 2 | 松岡(26)丸山(20) |
2009年 | 11 | 0 | 2 | 松岡(25)北村宏(29) | |
2008年 | 12 | 0 | 2 | 三浦(19)松岡(24) | |
2007年 | 10 | 0 | 0 | ||
2006年 | 9 | 0 | 0 | ||
2005年 | 11 | 1 | 福永(29) | 1 | 柴山(27) |
2004年 | 10 | 1 | 福永(28) | 0 | |
2003年 | 8 | 1 | 福永(27) | 1 | 後藤(29) |
2002年 | 11 | 1 | 福永(26) | 1 | 後藤(28) |
2001年 | 12 | 3 | 四位(29)藤田(29)福永(25) | 1 | 後藤(27) |
2000年 | 9 | 2 | 四位(28)福永(24) | 2 | 後藤(26)田中勝(29) |
1999年 | 7 | 2 | 藤田(27)四位(27) | 0 | |
1998年 | 8 | 2 | 武豊(29)四位(26) | 1 | 蛯名(29) |
1997年 | 8 | 2 | 武豊(28)藤田(25) | 2 | 横山典(29)吉田豊(24) |
1996年 | 5 | 1 | 武豊(27) | 2 | 横山典(28)蛯名(27) |
1995年 | 8 | 2 | 武豊(26)松永幹(28) | 3 | 横山典(27)柴田善(29)蛯名(26) |
1994年 | 4 | 1 | 武豊(25) | 0 | |
1993年 | 4 | 1 | 武豊(24) | 0 | |
1992年 | 4 | 1 | 武豊(23) | 0 | |
1991年 | 4 | 1 | 武豊(22) | 0 | |
1990年 | 7 | 1 | 武豊(21) | 0 | |
1989年 | 5 | 2 | 武豊(20)松永幹(22) | 0 |
とこの通りです。ここも年代ごとの全体の傾向を触れますと
(80勝以上の総人数からみる競馬の移り変わり推移)
1989〜1994年 が4〜7人
1995〜2000年 が7〜9人
2006年〜 が大体10人以上になります。
昔は80勝以上する騎手自体がそもそもいなかったが、武豊騎手(そして松永騎手)の躍進とともに若手が大挙成長。このタイミングで競馬界でも緩やかに動きがあり、西高東低化で武豊騎手のいる西が競馬の中心に立つこと。そして緩やかに進んでいた騎手のフリー化も1995年ころからさらに進んでいくことになります。このあとくらいに外国短期免許騎手の活躍や地方騎手の活躍の兆しもその流れを急速に進めた要因かなと思います。よって1995年くらいより前の特定の数人に勝ち星が集まって、後は所属厩舎とその仲良しさんからの依頼。って流れからうまい人に騎乗馬が集まる群雄割拠になったんだと思います。1995年くらいから53勝も80勝以上挙げた騎手が単純に増えているのはこういう流れもあったんじゃないかと想像できます。
それに伴い1995年以降の流れを触れると
(年別傾向の推移)
・1995〜2001年
東西ともに1995年から80勝のラインをクリアする騎手が一気に増えます。この増えた分はそのまんま20代ジョッキーが増えた分になります。西は武豊騎手から四位、藤田の同期ダービージョッキーが継いでいくことになり、若手が多く勝ち星を挙げる流れが関西では完全に出来上がります。これに乗っかるのが福永騎手になります。ただこの2001年で四位藤田騎手は卒業になります。
東は1997年までは横山典、柴田善、蛯名といった現在も健在の面々が引っ張っていきますが彼らが卒業のタイミングで陰りが見えます。現に1999年には0人となります。この流れで台頭したのは後藤騎手。アメリカ帰りでこの世代の谷間を埋めることになりました。後藤騎手の頑張りもこの躍進にはありますがちょうど「若手」がいなくなったタイミングでアグレッシブな騎乗の後藤騎手がうまく嵌ったという要素もあったでしょう。
・2002〜2007年
この辺は若手不毛の時代です。西は福永、東は後藤で固まります。ただ後藤騎手も2004年で卒業。そのない民具で地方から移籍の柴山騎手の台頭もありましたがすぐに鎮静化。完全に若手のいない時代です。
・2008〜2011年
ここは美浦のほうで若手起用の流れができます。きっかけは上でも触れた三浦騎手の登場とたたき上げ松岡騎手の躍進です。これに引っ張られて丸山、吉田隼も80勝をクリアとこれにより平成に入って唯一といっていい栗東より美浦が若手を抜擢する流れになりますが、三浦騎手はデビュー年を超えるパフォーマンスをあげることはなかなかなく、松岡騎手も度重なるケガでひところよりも成績を落としていきます。そんななか遅咲きで田辺騎手が成績を伸ばしていきます。
西は上で触れた2005,6年くらいから抜擢を始めた若手がようやくこのころに華開き2010年に川田騎手、2011年に浜中騎手、川須騎手が80勝のラインをクリアしていきます。
・2012〜現在
西は浜中、川田時代になりました。ただ彼らに続けと抜擢した川須、松若、菱田が続くことができずに流れは途切れてしまいました。川田騎手は20代卒業。浜中騎手は度重なるケガや騎乗停止渦で不振となり2016年には7年ぶりに20代の80勝騎手はゼロ。今年も最多勝利が松山騎手の52勝と絶望となっています。
東はもっと深刻。2011年から台頭した田辺騎手が気を吐くも2013年で卒業。2014年〜20代ジョッキーの80勝以上はいない状況となっています。
こういう流れがあります。いくつかこの成績を見て気づいたことをあげます。
(4年、7年で台頭がある)
地方から来た柴山騎手を除くと、4年生え抜き20代の80勝ジョッキーが0人または7年生え抜き20代の80勝ジョッキーが1人しかいない状況だとそのあとに若手の台頭があるということです。
西でいうと2002〜2009年の福永→0人時代のあと。東でいうと2001年〜2007年の後藤→0人時代のあと。
です。やはりトレセンでもこういう状況が何年か続くとやばいんじゃないかという空気ができるんじゃないかと思います。
(武豊台頭以降の流れは顕著)
やはり武豊は偉大だと思います。武豊騎手の活躍が1995年以降の若手の躍進につながったのは間違いないでしょう。野球では松坂世代。サッカーでは79世代、競艇でも銀河系、将棋でも羽生世代という言葉がありますが、一人大物がいるとそれに引っ張られて同世代に逸材がそろうということはどの競技でもあります。武豊騎手が他の近い年代の若手を引っ張り上げたという要素もあるでしょうし、その若手たちが武豊騎手にしっかりついていって強い世代を形成したから、世代交代があっさり完成して、今現在も武豊騎手がトップジョッキーでいられるという要素はあると思います。一人で上の世代に立ち向かい、下の世代に抵抗する状況ならおそらく今も武騎手がトップでいられることはなかったでしょう。この世代にそれなりの有望株がそろっていたのは武豊騎手にとってもラッキーだったと思います。「武豊世代」と「武豊世代の弟分」が支えた平成競馬といってもいいんでしょうね。
ただちょっと話はそれますが大型世代の後はどこかにしわ寄せがきます。野球やサッカーは点を取ればいい。ホームラン打ったらいいで、これらの競技そんなに世代のダメージは目立ちませんが、星を食い合う競馬では話が違います。同じように星を食い合う将棋で例えますと羽生世代というのは羽生棋聖がタイトル98期で他の方々の同世代にもタイトル経験者はいます。将棋の場合はどこにしわ寄せがきてるかというと一つ下の世代とかではなく彼らが油を乗り切った時期に若手だった世代。要するに10年くらい下の世代がもろにダメージを受けてます。羽生氏の47歳から5つ下の今現在42歳までタイトル経験者は10名いて、タイトルに挑戦までした人もこのほか数人いますが、42歳より下、今現在32〜41歳(羽生氏より6〜15歳年下)の10年に関してはタイトル経験者は1名。挑戦者もいれてももう一人増えるだけです。これは強い世代にもろに影響を受けたことになります(ファミコンという他のゲームが台頭した時期でその影響もあったとは思いますが)
ここまで極端ではありませんが競馬でもしわ寄せを受けている世代は近い年代でいます。
武豊の年代が30台を迎えるかどうかといった脂がのり切った世代の時にデビューした年代。1999〜2002年デビュー組はもろに影響は受けてしまったと思われます。
このころは毎年のように10名前後デビューしてたはずなんですが、1999年は3人、2000年も3人、2001年は7人も2002年は3人と少数になっています。この年代でめぼしい騎手は田辺騎手と北村宏騎手のみ。ほとんどの騎手は障害騎手となっている世代です。
北村騎手は藤沢厩舎のバックアップ。田辺騎手も後年のブレイクと埋もれていても全然おかしくない状況でした。
特に2000年世代は2017年は今現在6勝。2001年世代は42勝挙げてますがそのうち35勝が障害レースです。特に2000年世代がみんながみんな才能が他の年より劣ってたのかといえばそんなことはないと思うんです。これはそういう上の世代の流れに飲み込まれてしまったという不運もあったのかなと思います。
(今は若手の流れが途切れている時期。4年7年の傾向からは近いうちに若手起用の流れはあるかも)
上で触れたように途切れた後は流れがきます。この流れだと東ではここ1,2年。西では3,4年後に若手の台頭があるかもしれません。これまでの流れだとその可能性は少なくはないんじゃないかと思います。躍進するときは一人でということは少ないので出てくるときは数人固まってという流れもあります。今の若手の皆さん希望を持って頑張ってください。
(武豊世代の後に)
栗東は少し下の世代藤田、四位ががんばってその少し下福永騎手も台頭して、そこから10年くらい年は空きますが川田、浜中と出てきています。80勝は届かぬとも幸、和田といった安定した成績を出す騎手はいますし、曲がりなりにも緩やかに世代交代はなんどか経験してきているように思います。
美浦に関しては横山典、柴田善、蛯名の後は蛯名と5歳空いた後藤。そこからも5歳空いた北村宏とぽつぽつで、ちょうど世代の谷間を埋めていた後藤騎手が死去。北村騎手もひところの勢いがなく蛯名騎手から田辺騎手までの14年が丸々あいている(強いて言えば北村騎手のみ)という状況です。若手を育てるという土壌が栗東に比べてかなり少ないと思います。掘り下げれば後藤騎手はアメリカ修行で切り開いたものですし、田辺騎手も関西の抜擢からで彼らを美浦の関係者がみんなで育てたかというと微妙です。若手を育てる土壌が少ない美浦が南関東からの戸崎、内田騎手を重用したり今だに40代後半のベテランが重用されるのはわかるような気がします
(後藤騎手はすごかったと思います。)
完全に流れが切れてる中で一人80勝を維持した福永騎手と後藤騎手はすごいと思います。ただ福永騎手は競馬村からの人です。(それでもすごいんですが。)
それとは違い後藤騎手は競馬と関係ないところから競馬界に入って、これだけ若いうちから孤軍奮闘しているわけで本当にすごかったと思います。本当にこのデータを見る限りもったいないなと思います。彼が美浦で健在なら今の競馬はどうなったんでしょうか。
<総まとめ>
・まず見ていただくとわかりますが、80勝以上台頭の場合は多くは同じタイミングで複数のジョッキーがいるのがわかると思います。単独で続けているのは武豊騎手の前期と福永騎手の後期、後藤騎手であとは複数誕生しているケースが多いです。
・複数出現しているところはその傾向が数年続いています。それが一つの島になってますね。簡単にわけて3つ島があります。
1、武豊世代+武豊の弟分世代(美浦栗東ともに)(武豊騎手の台頭から引っ張られた組)
2、川田、浜中世代(栗東)(世代全体でベースアップのその中で突き抜けたものが複数いた)
3、三浦、松岡グループ(美浦)(三浦騎手の台頭の流れで抜擢を受けた組)
この3つでしょうか。上で触れたような単独で台頭するケースもないことはないですが、世代交代・若手の台頭には複数の台頭が基本は不可欠なようです。上で触れた騎手たちでも福永騎手は武豊の弟分世代(四位・藤田・佐藤哲など)の流れで乗っかった部分もあり実質単独で台頭したのは後藤騎手と武豊騎手の出始めくらいであとは世代で押し上げていってます。
押し上げる形は武豊騎手のようなスーパースターに引っ張られる形でも川田騎手、藤岡騎手、浜中騎手のように世代で抜擢を受けた中で頭一つ抜け出す形でもどちらでもいいんですが複数の台頭は不可欠となっているように思います。
複数になるのは、当人同士の切磋琢磨ということもあるでしょうが、「あいつ乗れてるな、それなら同期のあいつも似たような技術だし起用してみようか」みたいな関係者の間でも芋ずる式に若手の抜擢をしてみようかという流れもあるんだと思います。そういう流れになるにも一人の台頭が一番、手っ取り早く1,3の武豊世代や三浦の台頭による抜擢はこういう要因があったと想像されます。
・そして武豊世代はともかく80勝以上のジョッキーの傾向、特に後藤騎手以降で目立つのは、JRA競馬サークル外の人間が多いことです。川田浜中世代も川田騎手は地方競馬関係者ですし、浜中騎手は競馬サークル外です。
三浦、松岡グループも三浦、松岡両方競馬サークル外からです。ちなみにいえば吉田隼人騎手は兄が競馬サークルにいますが、丸山騎手は地方競馬関係者になりJRA関係者ではありません。田辺、川須騎手も同様に競馬サークル外です。
まず突き抜けてくるのはJRAのサークル外の人が多いということです。そして、こういうサークル外の人を抜擢しようという流れががあるときに若手が伸びてくるという要因もあるんだろうと思います。逆にそこまでサークル内の人間だけしか若手がいない状況では突き抜けて伸びてこないということもあるのかなと思います。
・重ね重ね言いますが、そうしてみていくと競馬サークル外から一人で台頭して何年もトップクラスを張った後藤騎手がかなり異質です。本当にすごいなとも思いますが、一人でこれだけ背負って戦ってきた人だからああなってしまったのかなとも思ってしまいます。近い年齢にライバルがいれば背負うものも少なく悩みを抱え込んでしまうこともなかったのかもとはちらっと思いました。余計なおせっかいですが。
上の傾向からこういうことが今書けることかなと思います。今回はここ20数年の競馬の流れを書かせてもらいました。長くなりましたがいかがだったでしょうか。
次からもう少し具体的にいろいろ触れていこうと思います。ちなみに次からはもっと短い記事で更新となります。ご安心を(笑)。ちなみに第2回はたぶん来週です。
内容はここ10年で若手世代を経験した浜中騎手と田辺騎手について掘り下げた記事から若手の躍進には何が大事なのか書いてみようかと思います。なぜこの二人かというと浜中騎手は非常にスタンダートにリーディング、G1とビックタイトルにたどり着いた騎手で書きやすそうということ。田辺騎手は有望な若手だったと思いますが、紆余曲折あり非常にまれな形でのブレイクです。田辺騎手のブレイクは運の要素や人の大切さもありきっかけの大事さを伝えやすいと思い書いてみようかと思います。
では。また来週